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AMETSUCHIのものづくり

京都府南丹市美山町の観光名所である茅葺の里にある「ちいさな藍美術館」の隣
蔵を改装した工房で制作活動をしているAMETSUCHIの芦田尚美さん。
AMETSUCHIの作品はどれも可愛らしく、食卓に並ぶと気持ちがるんるんとします。
そんな可愛らしい器を制作しているAMETSUCHIの芦田尚美さんの工房にお邪魔し、器作りのお話を聞いてきました。

・陶芸を始めたきっかけを教えてください
小学生の頃から図画工作、手芸などが好きで、通っていたお絵かき教室での陶芸体験が特に印象強く、芸術大学の工芸科に進学し、自分で使う器を自分で作りたいとの思いで陶磁器専攻に進みました。

・ちなみに一番最初に作った作品はどのようなものだったのですか?
先ほど言った、お絵かき教室で作った作品ですね。その時に何でもいいけど、使えるものをみんな作っていて、覚えてるのはお花を入れるような花器を作りました。茄子をモチーフにしていたと思います。上に穴が空いていて、お花を挿すような。
他にもお絵かきとか色んなカリキュラムがあったんですよ。陶芸のカリキュラムでは専用の土を使って1日で形を作って、次の週では専用の絵具で絵付けをしてました。そのあとは業者さんに作品を渡して窯で焼いてもらいます。焼いてもらった作品は忘れた頃に手元に来るんですよ。

自分が柔らかい粘土で作ったものが、焼き上がって帰ってきた時には硬くなっていて、釉薬もかけられて手元に帰ってくるので、まるで別の物のようになっていることに衝撃を受けました。水も入るし、土じゃなくなるんですよね。
何かを作る時って、作る過程から完成までを自分で見ることができるけど、焼き物は一度窯に入れたら違うものになるんですよね。用途もはっきりするし、その変化がとても印象的でした。

その花器は今から見ると全然いい出来ではなかったんだけど、そんな強い衝撃をくれたんです。今は多分実家で眠っていると思いますが。

 

・美山でのものづくりはどうですか?
元々は大学を卒業してから、ずっと京都市内で制作活動をしていました。しかし3年前に京都市内から美山に移住し、環境的にはとても作りやすくなりました。取引先やお客様への発送作業などが増えましたが、時間の流れが快適で、精神的にも安定したように感じています。 

自然との格闘はちょっと大変ですけどね、台風や自然現象で電気が止まることもあって、京都市内だと電気の復旧もすごく早いじゃないですか。でも美山だとそうはいかない。私は電気窯を使っているんですけど、実は焼き物を焼いている時に二回くらい電気が止まったことがあって、大変でした。1回目は凄くショックだったんですけど、2回目の時は
「あぁ、ここでのものづくりはこういうものなんだなぁ」と切り替えることができました。

一年目は慣れるのに時間がかかりましたが、2年目からは心持ちが変わってきて。
「京都市内とは違うんだなぁ」と自然のこともそうだし、コンビニがなかったり笑
周りの環境の違いについても徐々に自分の中に浸透してきて、しっくりくるようになりました。

・蔵を改装して工房として使用されているのですね。
はい、元々は隣接する藍染工房が使用していた蔵を改装して工房として使っています。
この蔵は壁が分厚く、室内の温度がそこまで外気に左右されないので、夏は涼しく、冬が厳しい美山だけど冬は暖かく、作業をすることができます。
京都市内で作業していた頃の方が部屋の壁は薄かったですし、冬は寒くて土が凍ることもありました。ここで作業をするようになってからは、美山の冬は寒いのですが土が凍ることはなくなって、快適に作業をしています。

→工房の写真
蔵に元々なかった窓を作って外の景色が見えるようになっている

・そもそもどうして美山でものづくりを始めたのですか?
京都市内でずっと制作活動をしていたのですが、狭いスペースで作業をしていました。しかし、だんだんと仕事も増えていって、スペースなどの面で市内での仕事に何となく限界を感じていました。
そんな時に美山に住んでいる知人が空き家ができたから、美山でものづくりしてみたら?と声をかけてくれて、思い切って移住することになったんです。

・デザインのアイディアはどこからきますか?
身の回りの風景や暮らしでの気づきなどから、新しいデザインに繋がることが多いです。

・AMETSUCHIの特徴的なデザインである「ヤマノハ」のデザインに込められた想いを教えてください。
大学院に通っていた際に、卒業してからも陶芸を続けていきたいなと思っていました。その際に自分らしくて、覚えてもらいやすいデザインである且つ日常的に使える器を作りたいなと思っていたんです。私はその時、左京区に住んでいて、鴨川とか北山などの景色が目に入る生活をしていました。
そんな生活の中で、ふと葵橋の辺りから北山の方を見た時に、その山の景色がいいなと思ったんです。元々、普段使いの食べ物を入れる器が作りたいと思っていて、食べのもは天と土の間の場所で作られるから、その天と土の間の境界線である山並みを見た時にその山並みのデザインを取り入れるのは私の中では自然な流れでした。
それに、このデザインは季節も関係なく、男女も関係なく受け入れてもらえると感じて、取り入れました。

 

・ものづくりで大変なこと・面白いところは何ですか?
大変なことで言うと一つ目は自分の心身の健康を保つことです。私は1人で作業をしているので自分が体調を崩してしまうと制作活動に大きく影響が出るので、健康には気をつけるようにしています。

手を使う作業をしているので、すぐ手荒れをしてしまうんです。最近はあちこちでアルコール消毒をしなければならないこともあって、この前ちょっと手が荒れてしまったんです。この辺は病院も近くにないので、後回しにしていたら、その手荒れが悪化してしまって。1人で作業をしているので休むこともできす、バンドエイドなどを使って騙し騙し作業を行なっていたんですけど、陶芸は指先の感覚が大切になってくるので、バンドエイドなどをつけていると上手く作業ができなくて、結局市内の病院に行って治すのに時間がかかりました。
二つ目はスケジュール管理です。焼き物は工程が長いので納品に合わせて作品を作ることや、焼く過程でどうしてもうまく焼けないものも出てきてしまうので、注文より多く器を作って焼いたりなど、逆算をずっとしています。それと同時に新しいことに挑戦したり、スケジュール管理は大事になってくるんです。一回の焼成でなるべく多くの器を入れて効率よく焼くために、炉内の空間を考えながら詰め方を工夫したり、焼成後は炉内の温度が下がるまで開けられないので、その時間なども考えて制作しています。

あとは焼き上がった器が窯から出てくる喜びもあるけど、それと同じくらガッカリすることもあるので、そこら辺が面白いところでもあり難しいところでもありますね。

なるべく窯をコントロールしているとはいえ、窯に入れてしまうとあとは火に任せることになるので、思い通りに焼き上がらないこともあり、そこが面白くて難しいですね。

・今後どのようなことに挑戦したいですか?
少し前からはじめているのですが、隣接する藍染工房から分けてもらった「紺屋灰」を使った釉薬に挑戦しようと、今は試作を重ねています。昔から、藍染で残った紺屋灰は陶芸にも使用されていたみたいで、調合や土によって見せてくれる紺屋灰の表現が変わってくるので、挑戦しています。なるべく身近にある素材でものづくりを続けられるとしたら、それが理想です。  

↑紺屋灰を釉薬として使用した器
紺屋灰のみの釉薬は焼くと、薄い茶色のような優しい色となる。
芦田さんは紺屋灰に他の色を混ぜて新たな色を作り出す試みもされている。

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