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近代以前の方法でつくる、薪の炎と土からなるうつわ

 

 

 

 

 

 

前野さんの工房に、訪問させていただきました!

 

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素材の本来持つ生命感を損なわず、こちらが「する」のではなく、自然の摂理に則ってものが「なる」ということを大切に作られている前野さん。近代化以前の陶器の製法を調べ、電気を使わずに足で蹴って回すロクロを用いて、登り窯の薪の炎で焼く。そういう作陶のスタイルにたどり着くまでにはどんなことがあったのでしょうか。

 

京都は西陣の近く、機織りの音が聞こえる場所で育った前野さん。お祖父様のお家が御茶菓子屋で、茶道も身近な環境で育ったので、やきものの種類は小学生の頃から多少は知っていました。しかし、やきものよりも興味があったのは音楽。アメリカの民謡が好きで、ギターやバンジョーを弾いていました。そしてこの音楽が「よい」というのは、どういうことなのだろうか。よいと感じるのは、メロディーやリズムそのものにその性質があるのか、それとも自分がただそのように感じるという認識の中にあるのだろうか。そんな思いを巡らせながら、やがて本来自分の文化であるはずの日本の民謡や、その他の芸術や文化などにも興味が向くようになり、大学では哲学科で、民藝運動を起こした思想家、柳宗悦の研究をします。

 

柳宗悦が注目したのは、民衆の暮らしの中から生まれた造形の世界。平安時代に日本仏教が草・木・川など自然の中にさえ仏性を見たのと同じように、民衆の日々の生活道具の中に宿る美にもその背後に仏性を見出した柳の思想を研究し、自然の中で生まれてきたものへの考えが深まっていく中で、柳宗悦の生誕100年の展覧会へ。そこで見た丹波や伊万里などの古陶磁やバーナード・リーチ、河井寬次郎、濱田庄司らの作品を見てやきものに関心を持つようになり、そして特に泥で装飾したスリップウェアという英国の古陶に大変感銘を受けて、自分でも陶器を作ってみたいという思いに駆られたそうです。

陶芸教室に通いだしてスリップウェアの試作を始め、もっと陶芸について深く知りたいと思った前野さん、大正〜昭和の京都の作陶家、河井寬次郎の仕事を見たことで、これを生涯の仕事にしようと決めて、大学を出てからは陶器の専門校に通います。自然の摂理に則った制作を求めて、専門校卒業後は丹波焼の窯で5年間修行。その後アルバイトをしながら、工房をひらく場所を探して、南丹市日吉町の現業地に家を借り、陶器の仕事を始めました。

 

売れるものを作るというより、自分の考えや理念を、やきものという形にして提案していきたいと言う前野さん。考えをじっくり練り込んで作品に反映する工程は、音楽をやっていた頃、お客さんの前で演奏するよりも、しっかり練り込んで録音したものを出したいと思っていたことに似ていると言います。

 

自然のリズムに則った制作は、年単位の時間がかかり、また自分のイメージ通りに仕上げるということは難しいもの。しかしイメージで押さえこんで自分が「する」のではなく、焼ける時に出来るむらも、ひずみも受け入れて、土と炎の出会いで陶器が「なる」ものだということを、伝えながら届けてゆきたいと仕事をされています。そうして出来上がってきたやきものには、どこか時代を越えた普遍的な価値があるようにも感じられます。

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